アイボリー

2001年11月16日 日常
人が死んだ。

それは同級生の女の子。
確か一年の時、同じクラスでした。
覚えているのは、よく、人に嫌われてた事。
そんな人間が死んだ。

脳の病気だったそうです。
段々と、手とか、動かなくなっていく。
最後はじゃんけんするのさえ精一杯だったそうです。

今日一日、授業が殆ど潰れました。
彼女のために祈り、彼女のためにいろいろな事をしました。

                                              
どこか醒めた自分がいる。
そう感じました。

今まで生きてきて、3度、人の死を見つめてきました。
そのせいか、私の中の『死』に対する観念はひどく重く、ひどく軽いです。

先生が泣きながら彼女の事を話し出すと、殆どの皆が泣き出しました。
それを横目に、私は只ひたすらに先生の顔を見つめていました。
精一杯先生の言葉を聞き取りました。

涙は出ませんでした。

私は、先生が泣く理由は判ります。
闘病中の彼女をずっと見ていた先生が、彼女を失った事に対して、泣く気持ちは判ります。
でも、その事実さえ知らされず、ひどく間接的に接してきた私達生徒が、どうして泣くのだろうと考えました。
散々彼女の悪口を言っていた人は泣く。
そして顔さえ知らない人まで泣く始末。
……それは、あまりにも漠然とした「哀しみ」に対して泣いているようで、正直、私はあまり良いとは思えなかったです。
只、「多くの人が泣いている」という事実に泣く人だっていたでしょう。
それは彼女のために泣いているのではない。
実際、彼女の事をを心の底から思って泣いた人は若干名だと思いました。

余談ですが、散々悪口を影で吐いていた人が、彼女を思い、泣いている事実に多少の怒りを感じました。
他人を傷つけ、さらにそれが酷い時には人まで殺せる鋭利な言葉を吐く人々。
散々彼女の居ない所で痛めつけていたというのに。
……信じられません。私は決して信じません。

私は、どうせ泣くのなら、独りになって、彼女の事を精一杯想いながら泣く方が良いと思ったのです。
安っぽい集団行為ではなく、ひとりの人間として、ひとりの人間を想いながら涙を流したい。

しかし、逆に漠然とした哀しさを受け止めて泣ける多くの人々の素直な心の美しさに、吃驚しました。
同時に、自分が失ってしまった物をこの人たちは持っている事実に寂しさを感じました。
自嘲の笑みが溢れてきました。
……やっぱり、駄目みたい。

教室に戻り、皆が涙を流す中、私は只ひたすらに考えました。
多くの事を考えました。

そしてあまりにも思い考えに耐え切れなくて、その事から頭を離そうと思い、勉強をしだしました。

そうすると、教室に残っていた周りの人々は「非常識だ」と言って私を責めました。

私はその事実に悲しくなりました。
私は精一杯考えました。けれど涙を流さず、勉強までしだす私は、「非情な人間」だと思われました。
……私は人が死ぬ事をちゃんと判っています。
それを話そうとしても、きっと上手くは伝えられない。
上手く理解してもらえない。

私にとっての「死」の観念は酷く軽く、酷く重い物なんです。

軽く絶望。

人は、完全に理解しあう事は決してありません。

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