頑張り過ぎなくて良いんだよ
 
そう言って友達が去っていった。
またもや別れ際にめそめそしてしまう。
あれ、こんなに涙もろかったの私?
 
とても趣味に走った密度の濃いGW後半3日間でした。
特にカラオケ。2人で7時間やった……
途中で寝不足で疲れていた友達がフラフラしだしたので
7曲程連続で唄う。半ば独壇場。
付き合ってくれた友達は、なんてやさしいんやろう。
万博組の2人(友達は3人来て万博行かない1人が我が家に宿泊)とも、昼食を2度共にしたり、
カフェしたり、外見は大人びても接する態度雰囲気は変わらず、
やさしかった。うれしかった。

皆自宅生ということで、
ああ、広島に帰るのだな。羨ましいな。
そんな思いなどは考えず、
ああ、こんな優しい人々と別れてしまうのだ。
再び家に帰っても誰もいない生活が始まるのだ。
と思ってしまい、余計に離れがたくなってしまった。

1人駅構内で泣きながら別れた私を心配した3人は
昨日の夜中に一人一人メールをくれた。
やさしい。皆どうしてそんなに優しいのかね。
余計に甘ったれになっちゃうよ。
 
今生きるうえで抱える自分の不安な心中を吐露するのは
とても勇気の要ることで
結局嗚咽が出そうで言葉をきちんと紡ぎだすことができなかったけれど
少しでも自分の考えていることを誰かに話せたのは
若干の進歩だと思われる。
 
 
 
絵がうまく描けるようになりたいなぁ。
文章がうまく書けるようになりたいなぁ。
楽器がうまく弾けるようになりたいなぁ。
歌がうまく唄えるようになりたいなぁ。
踊りがうまく踊れるようになりたいなぁ。
  

鼻歌を一通り口ずさんだ後や、
ふとした時、
友達の目の前でこんなことばかり呟いていた。 
 

そんなことばかり願う私はここに立っていて本当にいいのかと思うよ。
 

期待を背負うあまり
状況を悲観しすぎるあまり
本当に自分のやりたいことを押し込めて
希望あふれる水溜りの向こうの世界に飛び込む勇気などなくて
逃げて
逃げて
まったく方向性の違うものを無理やり好きだと思い込んでみせて 
錯覚に陥って
道を踏み外し
本当はこんなことをしたいのではないと
だからやはりこれは選択を誤ったのだと覚醒してしまったときは
過去にとらわれ
後悔に塗れた日々を
日々を
踏みにじって歩いていく自分を感じ
そうして自分がよくわからないまま外の世界の時は進み
心は過去に滞在して
いやむしろとらわれ続け幼きまま
その距離は離れ続け
眼前に提示される現実と幼き夢の差に対処できない部分の私が
はらはらと雫を溢させているのかもしれない
 
 
僅かばかりの不安。
自由に生きられないという絶望からくる不安。
この気持ちを植えつけたのは環境。

仕方がなかった。

そんな言葉で済ませられるのなら、
私はこんなに弱い人間になっていないよ。
誰を責めることも最早できない。
環境という概念は実体などない。
自分自身本当に環境が悪いのかどうかよく分からなくなってきた。
生れ落ちたその日からこんな気持ちを抱いているような気がする。
またはそれすら錯覚かもしれない。
本当にやりたいことを
必ずしもこの世に生きている誰もがみな実行できているわけではないというのは
わかっているのに
わかっているのに
わかっているからこそ
自分ばかり不自由さを訴えたところで
被害妄想甚だしい。
けれど妥協という行為を決して咀嚼できないのもまた自分。
それでは結局自分は何を望んでいるのか。
答えを見つけられないまま
ここまで来てしまった。
 
だからこの絶望と不安はこのまま抱え続けていくのであろうなぁ。
それとも誰かがここから引きずり出してくれるのだろうか。
期待をするだけ傷つくのは自分だからもうその辺に望みは抱きたくないよ。  
 

 
 
なんだか一人暗く湿った井戸の中座り込んで
項垂れながら快晴の空を見上げている気分だよ。
ここにもう長く居座り続けて、
今もなお後悔という水草が足首を締め付けている。

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