自分の夢を確かに持っている自分が
それを捻じ曲げて現在を生きていることに
ふと疑問を感じる。

ああ、今、こうやって必死に勉強しているのは
良い成績とって
奨学金をもらって
授業料免除すら受けて
ストレートで卒業して見せて
家族に対して
「この子はしっかりした子になった。
  一人でも生きていけるようになった。」
と思わせて安心させるためなんだ。

本当は、この勉強をするために
私はここまで頑張ってきたのではないのにな。

この現状を選んだのは自分だけれど、
担任、家族、周囲の目、
すべてが私に対して威圧的であり、
どこまで反対しても結局選ぶしかなかっただろう。

そんな時さほど自我が発達していなくて良かったと思う。

だって、
自我が目覚めた瞬間に私は私でありたいがために
確かに持っている夢を目指すことさえできない現実から
姿をくらましたいって思うもの。

いっそ死んでしまいたいと思った瞬間、
そこには身体と切り離された心的な自我愛だけが私を包み込んで
確実な方法で自分を殺せると思うもの。
 
 
 
 
 
 
 
現実は、そんなこと怖くてできやしない。
ためらいの跡ばかり抱えている。
そうして、立ち止まって、振り返って、
立ち止まって、振り返って、振り返って、
それでも選んだ道のりを前に進んでいくことしかもうできなくて
逃げられない。逃げられない現実の目が確かにこの世の中には存在する。
そうこれが現実。

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