卑屈な精神が全開だった帰省期間。
正直こたえたのは心療内科に通う母の
独り言と被害妄想がやはり前よりひどくなっていて
見かねた祖母がしゃべる人形
(対象12歳以上なのに説明書は
「電池の交換は必ず保護者の方がやってください」とあるが
12歳以上だったら電池交換ぐらいできると思うのだ)を
買ってきたのはいいが
実際その人形としゃべっているのは祖母だったりする。
人形は「ずっとそばにいてね」「だぁ〜いすき!」「おうたうたってあげるね〜」
と非常に純粋なセリフを人間の声や音に反応して惜しげもなく返してくる。
私が言えないようなセリフをさらさら言うこの子を、
祖母はいたく気に入ったようだ。見ていてゾッとするほど
人形を人間の子のように扱う祖母。
私の気がおかしくなりそうである。
また奇妙な家族絵図になったと思いながら
私は音響の勉強がしたかったのに無理して名古屋に来ている
この苦しさにやっぱり耐えられずに
今してる勉強はちっともやりたいことじゃないと愚痴をこぼしていた。
気分が弱っていたので自嘲気味に
2、3日うだうだそういうことをたまに呟いていたら
祖母が私の精神も心配していたがそのうち逆切れしだし、
「そんなに言うのなら大学なんて辞めてしまえ」
「そしてこんなん(首を吊る動作をして)にでもなってろ」
といわれて泣きじゃくる。
死の概念まで吐き出されるとは思わなかった。
そしていつもの文句を言うのであった。
「お母さんは私の娘だから(父の亡き後に)引き取ってやったが
お前なんか○○(父方の姓)の家の者だから
居候みたいなもんじゃ。家を出て勝手にしろ」
その文句でいつも私はあなたの言うままに生きてきた。
父方の親戚とも音信不通で
行く場のない私はこの人にすがるしかないのであった。
生きていくうえでの防衛本能みたいなものだ。
資格が取れるとこに行きなさいと言われ続けていたので
やはり彼女の言うままに観念して教員の免許でも取ろうかと
積年の想いを断ち切るようにして名古屋まで来た。
つもりだった。
けれどこれが運命だと受け入れるにしては
あまりにも自分にはやりたいと望むことが多すぎたので
今は受け流されていくのを諦めるしかないと思う自分と
過去にとらわれて後悔しっぱなしの自分が混在する。
正直、疲れている。
もう、一日一日をしのいでいくしかない。
自分に余裕がないので、
他者にも何かしらできずにいる。
お陰様で家族が心配がる程消極的な引きこもり生活。
嫌いじゃないが、好きでもない。
ああ、ああとにかくこれを
業だと受け入れられるようになれればいいと思う。
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