きれいなベベを着たい着せてくれ等と駄々がこねらんねぇこねちゃいけねぇと思ってそ知らぬ振りを見せていたけれど無理が来そうだったので人気のない部屋へ隠れてこっそり泣きました。
別に新しいべべが欲しいとかきれいなべべが着たい訳じゃなくて
少しでも私のことを気にかけてくれんかな
って思っただけなんだ。
どうしてあの時は過干渉の余り頑なに私の意見を聞き入れてくれなくて諦めの果てにあらゆる所から跡付けの理由を引っさげてご希望に添えるような選択をしてみたのに今更全く興味が持てない他人の居候扱いなのだろう。
今日本の教育の最重要課題の「生きる力」=「自ら考え行動する意思」をそぎ落としてまでご期待に応えているはずなのでこれからの生き方も全部希望して欲しい。
あの時から自分がこの人生においてどうしたいかなんて何も決められないまま一日一日をしのいでいる。
あれが私の全てだった。愛だとか恋だとか交友関係全て投げ打っても獲得したかったものだった。だからつらくても泣きながらでも必死にやった。がむしゃらにとことんやった。
けれどあと一歩のところに至っても許されなかった。誰一人として認めてくれなかった。
いつもそうこれが己の業なのだと言い聞かせるのにもう10年以上もかかっている。でも理解できない部分があって大分私は愚かなのだなぁとまた落ち込む。
最近むちゃくちゃ恥ずかしがりやの私は実に日本人らしいと思う。多分生き恥をさらしすぎた。だからあれしたいっておもうんだろうよ。

けれどもあの方々はあの方々で私の今後の余裕などなく自分たちの明日を必死に呼び込んで過ごしていっているのだろう。
二人で囲んでいる食卓を考えただけでも泣けてくる。
再会するたびに悪いものは進行している。
目を背けたいのにそれはいつも視界の端に捉えてしまうのだ。それは常に傍にいて離れない。
あの方々は可哀想なのだ。
その事実がまたつらいのだ。
それではどうしてあの時私の意志を認めてくれなかったのかと責めることなんて到底できない。
目の前で不明瞭な幸先への弱音など吐いて困らせてはいけない。
私は「明るい、笑顔を絶やさない」人間でいなければならない。
だからバイトもやめられない。
私が少しでも誰かと話しをする機会を持っていないと
あの人と同じように病に陥るのではないかと心配なのだそうだ。

余りにも高温の情熱を抱えたまま不完全燃焼を起こして今はどこも冷え切ってしまった。
その一酸化炭素に包まれて私は息を止めたい。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索